大判例

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札幌地方裁判所 昭和54年(モ)645号 判決

債権者

五十嵐広三

右訴訟代理人

菅沼文雄

外五名

債務者

株式会社

北方ジャーナル

右代表者

小名孝雄

債務者

小名孝雄

主文

一  債権者と債務者株式会社北方ジャーナルとの間の札幌地方裁判所昭和五四年(ヨ)第七二号雑誌販売頒布等禁止等仮処分申請事件について、札幌地方裁判所が昭和五四年二月一六日にした仮処分決定、および債権者と債務者らとの間の札幌地方裁判所昭和五四年(ヨ)第一二八号記事等販売頒布等禁止仮処分申請事件について札幌地方裁判所が昭和五四年三月一四日にした仮処分決定はいずれもこれを認可する。

二  訴訟費用は債務者らの負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  債権者

主文同旨

二  債務者株式会社北方ジャーナル(以下債務者会社という。)

1  主文第一項掲記の仮処分決定をいずれも取消す。

2  主文第一項掲記の仮処分申請をいずれも却下する。

3  訴訟費用は債権者の負担とする。

三  債務者小名孝雄(以下債務者小名という。)

1  債権者と債務者小名との間の札幌地方裁判所昭和五四年(ヨ)第一二八号記事等販売頒布等禁止仮処分申請事件について当裁判所が昭和五四年三月一四日にした仮処分決定を取消す。

2  右仮処分申請を却下する。

3  訴訟費用は債権者の負担とする。

第二  当事者の主張

一  申請の理由

1  債権者は、昭和五四年四月に施行されることになつていた北海道知事選挙に昭和五四年二月の時点で立候補する予定であつたもの、債務者会社は月刊雑誌「北方ジャーナル」を出版、販売しているもの、債務者小名は債務者会社の代表取締役であり、同時に森野隼人の筆名で別紙記事目録(一)記載の文章(以下本件記事という。)及び別紙記事目録(二)記載の文章「以下これと本件記事とをあわせ呼ぶときは本件各記事という。)を執筆したものである。

2  債務者会社は別紙目的物目録記載の著作物(以下四月号という。)に債務者小名執筆にかかる「ある権力主義者の誘惑」と題する記事を掲載する企画を有するものであるが、右記事のなかには、本件記事4ないし21のほか、さらに別紙記事目録(二)記載の文章(以下右4ないし21の文章とあわせて四月号記事という。)が用いられることになつているところ、この表現内容が債権者の名誉を侵害することは明白で、債権者に対する名誉毀損の罪を構成するばかりか、虚偽の事実を公にし又は事実をゆがめて公にするもので公職選挙法二三五条二項にも違反する極めて違法性の強いものである。そして債務者会社は四月号約五〇〇〇部を昭和五四年二月一八日ころから道内の書籍販売店を通じて出版販売することを考えているものであり、これが頒布されるようになれば債権者の名誉は甚だしく侵害され回復し難い損害をうけることになるのは明らかである。債権者としてはこの名誉毀損が現に行われ、あるいは、そのおそれがある場合には、名誉権にもとづき妨害排除もしくは妨害予防の請求ができるわけであり、債権者は債務者会社による右名誉権の侵害行為を未然に防ぐため、本案訴訟の準備もしているが、次項にも述べるとおり、四月号に先立つ昭和五三年一一月号の雑誌北方ジャーナルに本件記事22ないし32を掲載し、すでにこれについて頒布販売禁止等仮処分をうけた債務者会社の態度も考えあわせ、これの確定等をまつていては、債務者会社の四月号頒布による名誉権の侵害を予め防止することは望めないところより、債権者は、債務者会社ほか一名を相手方とし、前記「ある権力主義者の誘惑」と題する記事の掲載のある四月号を債務者会社においてはその印刷、製本、販売、頒布させてはならない旨及び四月号は執行官に移す旨の仮処分命令を発するよう札幌地方裁判所に申請し、昭和五四年二月一六日債務者会社に対する関係では主文目録(一)記載の趣旨となる決定をえたのである。

よつて右決定の認可を求める。

3  つぎに、本件記事のうち、1ないし3は北方ジャーナル昭和五四年四月臨時増刊号(以下臨時増刊号という。)に、同22ないし32は北方ジャーナル昭和五三年一一月号(以下一一月号という。)にそれぞれ掲載されたものであるところ、本件記事の表現は四月号に掲載された4ないし21のものを含め、いずれも債権者の名誉権を侵害する違法な言論であり、刑法上の名誉毀損罪もしくは侮辱罪を構成するほどに高度の違法性を有しているものである。

そのような違法性を有する記事を掲載するものであつたため、右一一月号については昭和五三年一〇月一七日に、また四月号については昭和五四年二月一六日に、それぞれ札幌地方裁判所より頒布販売等禁止の仮処分がなされたにもかかわらず、債務者会社は北方ジャーナル昭和五四年一月号において、一一月号に対する裁判所の判断を批判し雑誌等で断固闘う等と記載された記事を掲載して一一月号と同様の記事を掲載することを宣言し、四月号において、債務者小名執筆にかかる一一月号と同様の記事を掲載する企画をたてた。さらに債務者会社は臨時増刊号三二ページないし三九ページにおいて、債務者小名執筆にかかる四月号五〇ページないし五一ページに掲載企画中の記事の一部を、そのまま引用してある記事を、掲載し、債務者小名は臨時増刊号二九ページにおいて、四月号の記事は構想を新たにし題名をかえて近々他の出版社より発売することになつている旨言明した。右のような債務者らの裁判所の決定を無視する態度、今後とも本件記事同旨の記事を引き続く掲載した別の形態をもつて出版することを予告している事実からすると、債務者会社が本件記事同旨の記事または著作物を印刷、頒布、販売し、債務者小名が本件記事同旨の記事または著作物を自ら印刷、頒布、販売しもしくは第三者をして印刷、頒布、販売せしめることは必定である。したがつて債務者らの右のような行為によつて債権者の名誉権が侵害されるおそれは極めて大きいものである。

そして、このような債務者らの債権者の名誉を侵害しようとする行為を予め排除しなくては、債権者は回復し難い損害を蒙つてしまうのであり、またこの防止を本案訴訟の確定等をまつてはかることは望めないところであるので、債権者は債務者らを相手方とし、本件記事と同旨の表現を用いた記事または著作物をそれぞれ印刷、頒布、販売してはならず、また債務者小名は第三者をして右同様の記事または著作物を印刷、頒布、販売せしめてはならない、との仮処分命令を発するよう札幌地方裁判所に申請し、昭和五四年三月一四日主文目録(二)記載の決定をえたのである。

よつて右決定の認可を求める。

二  申請の理由に対する答弁

1  申請の理由1の事実は認める。同2の事実のうち、債務者会社が四月号に債権者の主張するような形式で四月号記事を掲載して、昭和五四年二月一八日ころ道内の書籍販売店を通じて出版、販売すべく準備中のものであること及び四月号と、債権者主張のとおりの記事をのせた一一月号について、それぞれ債権者主張のとおり処分決定がされたことは認めるがその余の事実は否認する。同3の事実のうち、本件記事の1ないし3が臨時増刊号に、同4ないし21が四月号に、同22ないし32が一一月号にそれぞれ掲載されたものであること、一一月号については昭和五三年一〇月一七日に、また四月号については昭和五四年二月一六日にそれぞれ札幌地方裁判所より頒布販売禁止等仮処分決定がなされたこと、債務者会社は北方ジャーナル昭和五四年一月号において、一一月号に対する裁判所の判断を批判し雑誌等で断固闘う等と記載された記事を掲載して一一月号と同様の記事を掲載することを宣言したこと、四月号において債務者小名執筆にかかる一一月号掲載の記事と同様の記事を掲載する企画をたてたこと、臨時増刊号三二ページないし三九ページにおいて債務者小名執筆にかかる四月号五〇ページないし五一ぺージに掲載企画中の記事の一部をそのまま引用してある記事を掲載したこと、債務者小名が臨時増刊号二九ページにおいて四月号の記事は構想を新たにし題名をかえて近々他の出版社により発売することになつている旨述べたことは認めるが、その余の事実は否認する。

三  債務者らの主張

1  債権者と債務者会社の札幌地方裁判所昭和五四年(ヨ)第七二号雑誌販売頒分等禁止等仮処分申請事件(以下七二号事件という。)について札幌地方裁判所が昭和五四年二月一六日になした仮処分決定(以下七二号仮処分決定という。)および債権者と債務者らの間の札幌地方裁判所昭和五四年(ヨ)第一二八号記事等販売頒布等禁止仮処分申請事件(以下一二八号事件という。)について札幌地方裁判所が昭和五四年三月一四日になした仮処分決定(以下一二八号仮処分決定といい、以上両決定を合せて本件各仮処分決定という。)は、以下に述べる理由により、憲法の定める諸原則に反するものであるか、あるいはまた、この諸原則に照らしつつ民事裁判の領域を考察すると、とうていその存在を是認することができない場合であるのに、名誉権または名誉権にもとづく侵害排除ないし予防請求権を被保全権利と認めて決定をくだしているのであつて、現行法上このような仮処分決定は許されるところでなく、すみやかに取消さるべきである。

(一) 債務者は、本件各仮処分決定をなしうる根拠として、債権者の名誉を主張する。たしかに名誉権それ自体は尊重されるべきである。しかし、本件における債務者らの行動により債権者らが法律上保護されてしかるべき名誉権を侵害されることによるとはいえないのであつて、そうであるのに名誉権を侵害されたとの債権者の申立を容れた本件各仮処分決定は誤つている。

(1) 本件各事項は、主として、昭和五四年三月一四日公示の北海道知事選挙に立候補が予定されている債権者に対する知事として人物論、あるいはまた債権者の政治姿勢に対する批判などからなつている。言論・出版等表現の自由は憲法の根幹をなすものとして明文をもつて保障されているが、右のような言論は参政権を実のあるものとするため、民主主義社会のなかでは言論の自由のなかでもとりわけ尊重されてしかるべきものであり、これよりも名誉権が優越することは憲法の定めるところからも許されないはずである。

(2) 本件各記事の内容をみると、右は債務者らが社会正義を守らんと、政治腐敗を追及したものであることは明らかである。これに対し債権者は自己の名誉権が侵されたと主張するのであるが、政治腐敗を守るための権利などといつたものは認められず、本件各記事を頒布するのを差止めることのできる名誉権が権権者に生じているとは言えないのである。

(3) また仮に、言論の自由といえども、名誉などのため、なんらかの制約をうけ、ときにその発表した言論のため、なんらかの法的責任を負わなければならないとしても、本件での債務者の言論はそのような制約をうけてもやむをえないような場合に当らない。即ち、

イ 言論の自由は、いつてみれば言論の自由市場の原理とでも表現できるような事態を前提にしている。言論は本来言論の自由市場において国民の知る権利と結びつき読者の意向によつてのみ左右さるべき性格のものである。したがつて誤つた記事があれば書かれた当人には反論権が認められる。司法権が言論市場に公権力を以て介することは本来好ましいことではないから仮に言論の自由が制限されるものと解してもこのような反論権の行使が認められない場合に限られるべきであり、反論権を行使しうるのに行使しない場合は、司法権による言論の制約は許さるべきではない。債務者会社は反論権を大幅に認めることを編集方針の一つとしておりその旨を表示してきたにもかかわらず債権者は反論権を行使しようともせず、仮処分決定という手段にいきなりでたのであつて本件各仮処分決定は、司法権による言論の制限が許されるべきでない場合にこれを制限したものであつて違憲無効な決定である。

ロ 言論の自由はさきに述べたとおり最大限の尊重をうける自由権である。従つてそれが、名誉権のため制約をうけることがあるとしても、それは名誉権侵害の明白かつ現在の危険が証明された場合に限られるべきである。ところで、本件は債権者の名誉が侵害されようとしているとの理由でもつて、頒布等をしてはならない旨の仮処分がなされたものであるが、仮処分の証明は疎明をもつて足りることからも容易に考えられるとおり、右の明白かつ現在の危険がはつきり証明されていないのに、債務者の行為には名誉権を侵害し言論の自由は制約されてしかるべきかどがあるときめつけられたおそれがある。これでは言論の自由を保障した憲法にも反する違法な決定を許す結果となる。現に、七二号仮処分決定は、本件記事4ないし21と別紙記事目録(二)記載の文章が四月号に掲載されることを前提としているが、債務者会社はこれを企画中ではあつたものの、まだ掲載を確定するまでには至つていなかつた。これら記事は発行直前に変更されることもありえたのである。それなのに、たんなる予定をもつていることだけで、名誉を侵害することになるとして表現の自由を奪うことになる右仮処分が発せられることになつたのであり、このような点から考えても、本件における仮処分決定は許されない。

ハ 本件各記事は、前にも述べたとおり、北海道知事選挙立候補予定者である債権者について、知事として適格かどうかの人物論あるいはまた債権者の政治姿勢について意見を述べたもので、政治的腐敗を許さないという理念のもと執筆されており、公共の利害に関する事実について公益を図る目的で行つたものであり、かつ、本件各記事の内容に虚偽はなく、債務者らとしては少なくともこれを真実と信じたことが相当と肯認できる状況で取材し執筆しているのであるから、正当な言論活動と目され、憲法上も言論の自由の領域に属する行動として保護されるべきであり、名誉権の侵害にも当らないはずである。この点は、刑法においても同法二三〇条の二の規定により公益目的の言論を保護することとしていることからも容認できるのである。

(二) 次に、本件における債務者らの言論が、仮になんらかの理由で、債権者の名誉権を侵害することになるとしても、それ故に債権者は債務者らの言論を差止めることを、民事裁判手続上直ちに請求しうると解することは、次に記すさまざまの理由から、できないのであつて、本件各仮処分決定は誤つた法律解釈によつたもので取消を免れない。

(1) 債権者は、その名誉権が侵害される故に、これを防ぐ権能が債権者に認められることになるとして仮処分決定により排除をはからんとする。

しかし名誉の保護は、刑法に名誉毀損罪が規定されている以上、刑事手続によつてはかられるべきである。本来財産法上の手続である民事訴訟手続によつて公法上保護さるべきものである名誉権の保護を求めることは許されないところであるのに、その民事手続のうちでも仮処分という安易な手段を用いて自己に都合のわるい言論を封じるなどというのは、法制度上許されるところではなく、また刑法上の概念である名誉権から言論の自由を排除することになる妨害予防請求権が生じると解するのは憲法の精神からいつても認め難いのである。

(2) さらに一歩譲つて、名誉権は私法上の保護をうけると考えても、まずその救済は、不法行為によつて被害をうけた者が求める損害賠償その他名誉回復のための適当な処分という事後的な請求によらしめるべきであり、国民の知る権利を侵す結果を生む妨害排除請求権まで認めるのは、行きすぎと思われる。万々一、名誉権にもとづく妨害排除請求権が認められる余地があるとしても、それは名誉侵害が現に行なわれているときに、その現在する侵害をくいとめる効果のみが与えられると解すべきであつて、本件のように名誉権が侵されようとしているといわれているだけで、侵害の事実が現に存在するわけでもない場合に妨害を予防するというかたちで、言論の自由を制約することは憲法上も特段の尊重を求められている言論の自由を、しかもそれがまだ世上に明確なかたちで表現される以前の段階で、封じこめてしまうというもので、まさに仮処分という手続を利用した言論弾圧であり、憲法の神精に反すること明らかで、許さるべきではない。

(三) さらに、本件各処分決定の定めるところは、債務者らに対し、その信じることを表現しようとするのを予め封じこめてしまおうとするものであつて、このようなやり方は、その自体、現行憲法体制に照らすと、申立の目的を達するにしても、あまりにも他の者の権利を侵害することこと甚だしく、債権者に被保全権利があるか否かをしばらくおくとしても、決定内容それ自体が許すべからざるものである。

(1) 憲法は、思想及び良心の自由を不可侵として保障し、これを意義あらしめるため一切の表現の自由を宣言している。

ところが本件各仮処分決定は、債務者らが表現しようと考えている思想を公の場で明らかにする機会を与えないまま、葬り去ろうとするものであり、とくに一二八号仮処分決定は、北方ジャーナル及び第三者に対し、その刊行する不特定多数の印刷物に関し本件記事と同旨の表現を用いることを永久に禁止するものであるから、表現の自由を広い範囲で包括的に禁じる結果となり右自由に対する侵害が甚しいものである。

(2) 表現の自由は、憲法によりすべての国民に保障されている。しかるに本件各仮処分決定は名誉侵害のおそれに名を借りて右言論を制限した。これは、誰もが保護される言論を債務者らにかぎつて制限したもので法の下の平等に反する無効なものである。

(3) 七二号仮処分決定は、雑誌の出版と販売をする債務者会社を倒産に至らしめる程のきびしい打撃を与えており、右のような決定を許すと、その結果政治的反対の言論をこれを発表する雑誌社ごと潰滅させることさえ可能となるのであつて、結局、憲法の定める言論の自由を死文化させることとなる。

(4) 憲法二一条二項は検閲を禁じている。七二号仮処分決定は末発行の雑誌を事前に検閲し発行を差し止めたのと同様の結果を生じるから、検閲禁止の趣旨に反し無効である。また一二八号仮処分決定は、検閲もせずに永久かつ包括的に印刷、頒布、販売を禁止するもので、検閲以上の差止の効果を生じさせるものであるから、右検閲禁止の趣旨から許されるはずがなく違憲無効である。

(5) 裁判所が行う裁判とは現実に起つたことについての具体的な処理方法であり、国会が行なう立法とは将来起るであろうことを予測しての規範の制定であると解されるところ、一二八号仮処分決定は将来起るであろうことについて特定行為を禁止したものでこの意味において裁判所が行なつた立法ともいうべき性質を有している。このような国会に専属する立法権を侵害することになる本件各仮処分決定は違憲無効である。

2  本件各仮処分決定は保全の必要性がないにもかかわらずなされた違法なものである。

前述したとおり本件各記事は、国民の知る権利、参政権とかかわるもので、公益を図ることを目的とした政治批判に関する論文である。したがつて仮に名誉侵害に該当する部分が存在しても、右救済は不法行為に基づく事後的救済によるべきであり、国民の重要な権利である知る権利を侵害してまで右言論の差し止めを認める保全の必要性はない。

3  本件各仮処分決定には、右にのべたほか次のような手続的実体的瑕疵が存する。

(一) 債権者による七二号事件の申請は、債務者会社所有にかかる財物(北方ジャーナル一九七九年四月号の印刷物のうち「ある権力主義者の誘惑」と題する二四頁から五一頁までの記事の記載されたもの)を窃取することによつてなされたものである。かかる犯罪行為を土台としてなされた申請及びそれに基づいた七二号仮処分決定は当然無効である。

(二) 一二八号仮処分決定は本件記事と同旨の表現を用いた記事の掲載等を禁じているが、その禁じられた行為の対象となる対象物は現に存在せず今後発行されるであろうと予測される不特定多数の出版物などである。つまり一二八号仮処分決定には特定できる保全処分の対象物がないから無効である。右仮処分の対象物は強いていえば「言論の自由」といえるかも知れないが、これを保全処分の対象物とすることは憲法上許されない。

また、七二号仮処分決定の対象物である四月号は、右決定時点では存在していないから無効である。

(三) 七二号仮処分決定は昭和五四年二月一七日債務者会社に送達されたが、その前日である同月一六日に山藤印刷株式会社手稲工場において執行されてしまつた。しかもその執行は、七二号仮処分決定の目的物が北方ジャーナル一九七九年四月号、但し「ある権力主義者の誘惑」と題する二四ページから五一ページまでの記事の掲載のあるものとなつているのにかかわらず右指定ページを著しく逸脱してなされた違法なものである。右のような執行における違法は仮処分決定の不備に基づくもので、このような不備を有する仮処分決定は無効である。

(四) 七二号仮処分決定により四月号の発行は事実上不可能となりそのため債務者会社は二千数百万円にのぼる損害を蒙つた。右事実からすれば、七二号仮処分決定の保証金二五〇万円は著しく過少なもので不当である。

また、一二八号仮処分決定は、前述のとおりその対象物が存在しないのに、何を基準として保証金を定めたか不明であり、その額も過少であつて不当である。

(五) 仮処分は本訴を前提とするところ、七二号事件の申請は本訴を提起しうるとの見通しもなく全く独立してなされたものであるから違法であり、本訴を前提としない七二号仮処分決定は無効である。なぜならば、七二号事件の本訴は名誉侵害に基づく損害賠償請求と考えられるが、四月号は決定時は発売前であつたから名誉侵害の事実は生じておらず、したがつて損害がないため、右本訴を提起することは不可能だからである。

四  債務者らの主張に対する債権者の反論

債務者らの主張は争う。すなわち、

1  憲法一三条の定める個人の尊重から憲法上の要請として人格権並びにその主柱をなす名誉権が法的に保護の対象となつている。これを受けて現行法においては刑事法の領域において刑法二三〇条が、私法の領域においても民法七〇九条以下が名誉侵害を不法行為の一態様として救済をはかつている。しかし右いずれも名誉侵害の結果を生じたことに対する救済であつて名誉の保護としては十分とはいえないとの反省のもとに、名誉が現実には侵害されていないが、侵害される危険が明白に現存する場合の事前抑止の措置として法解釈論上名誉権に基づく妨害排除請求権ないしは妨害予防請求権が肯認されるに至つている。したがつて名誉侵害の現実的危険が明白に存在している場合には、名誉権に基づく妨害予防請求権に基づいて侵害行為の差止を裁判所に求めうるのであり、その法的手段は差止請求訴訟の形態に訴えてもよいし、これを本案とする仮の地位を定める仮処分によることも許されるのである。民法の体系上名誉権に基づく差止請求が可能である以上名誉権と対立する利益が表現の自由であるからといつてそれ故に仮処分の手段が許されなくなる理由はない。また、債務者らは現実的な名誉侵害の結果生じていない段階での妨害予防請求権は認められるべきではない旨主張する。しかし、刑法上名誉毀損罪に未遂処罰の規定がないのは名誉毀損行為が「公然事実を摘示」することを内容としているため、着手後の未遂を特に考える必要がないことによるのであるのであり、予備を処罰の対象としていないのは刑法の謙抑性の現れであり、加害者、被害者間の民事的コントロールに委ねた方がよいという判断に立つものであるから、むしろ刑事法上未遂等が処罰されないことは名誉が侵害される明白かつ現在の危険がある場合、私法的には事前抑止がありうることを示唆するものと言うべきである。

表現の自由は債務者らも主張するとおり、国民の知る権利に奉仕し国政参加のための情報を国民にもたらす点において民主主義の土台をなすものであり、最大限の尊重を要するものである。しかし、表現の自由といえども無制約に絶対的保障が与えられるわけではなく、濫用は否定され、対立する基本的人権相互の利害調整の結果生ずる人権の本質的内在的限界のあることを当然の前提としたうえで基本的人権の尊重が承認されるのである。したがつて言論活動が名誉権と衝突する場合も当然に言論の自由が優越的地位を占めるのではなく、他の法益を侵害しない限りにおいてその自由が保障されるのである。そしてこの人権と人権との調整基準は、一般的には具体的事案について侵害の行為が放置されることにより被害者の蒙る不利益の態様、程度と侵害者が侵害行為を差し止められてその活動の自由を制約されることによる不利益との比較衡量により求められることになる。右比較衡量の結果侵害行為が明らかに表現の自由の濫用に該り、権利侵害の違法性が高度である場合には、表現の自由といえども一定の制約を甘受しなければならず、言論表現活動の差止が許容されるといわなければならない。

右の観点から本件各仮処分決定の当否を検討してみるならば、侵害行為の態様は、本件各記事のとおり、内容、表現が著しく下劣であり何人が見ても侮辱、誹謗、中傷に該当し、社会通念上到底達し難い記載である。また摘示された事実である「高野観光」「東海大学」をめぐる汚職問題は故意に虚偽の事実をねつ造して繰り返し公表しているもので全く真実性に欠けるものである。のみならず本件各記事と同一内容の記事につき債権者の名誉を侵害するものとして既に雑誌販売頒布等禁止の仮処分決定が下されているにもかかわらず同一内容の記事を再三にわたつて掲載し、更に差止の対象となつた記事を近々他の出版社より発売する旨を予告公言していることからすれば、債務者らは専ら虚偽の言説をもつてする債権者の個人攻撃、債権者の名誉失墜を意図しているものであることが明らかである。次に差止による債務者ら側の不利益は、もし債務者らが真に債権者の人物論を展開しようとするものであれば、真実性の立証をした後に公表しても何ら差し支えないから、仮処分によつて一時的に公表の時期が遅らされたからといつて言論の自由そのものが影響を受けるものではない。これに対し債権者の名誉侵害は、侵害された時点において直ちに具体的損害を惹起され、知事選立候補の直前という時期でもあつて債権者個人の名誉侵害にとどまらず選挙の上での判断を誤まらせるおそれを生じさせた点で有権者一般に対する害悪となるものである。以上のとおり、債権者に対する名誉侵害の明白かつ現在の危険が十分あり、それぞれの蒙る不利益を比較衡量するならば債権者の名誉権の保護を優先すべき場合に該当し、他方、債務者らの右侵害行為は表現の自由の濫用そのものであり、高度の違法性を有するものであるから、事前の差止が許される場合に該当する。

2  次に、本件各仮処分決定が憲法の規定する検閲禁止の趣旨に反するとの債務者の主張についてであるが、右規定は本来行政機関による検閲を禁じたものであつて裁判所に対しては当然には適用がないとはいえ、右趣旨は裁判所の司法判断にあつても尊重されなければならない。しかし、前述したとおり、憲法一三条を源とする名誉権が優位を占める場合には憲法二一条一項に定める言論の自由はその内在的制約に服さなければならないことになるから検閲禁止の趣旨もその限りにおいて人権保障の前に譲歩せざるを得ないと解すべきである。

3  債務者らは、思想の自由市場の理論を前提に反論権の行使が許されない場合にのみ事前の差止を許すべきである旨主張するが、前述したところと同様、右理論もすべての無制約な自由を前提としているわけではなく明白かつ現在の危険が存する場合には言論が制約されることを当然に内包している。反論権の行使という問題は、現実に名誉侵害の結果が惹起された場合の事後的な名誉回復手段に関するものであるから、債務者らの主張は、名誉侵害行為が言論活動による場合はまず名誉侵害を受忍せよということとなり、名誉を侵害する言論まで言論の自由として保護されているわけではないという前述の議論を理解しないもので失当である。

第三  証拠〈省略〉

理由

一債権者が、昭和五四年四月に施行されることになつていた北海道知事選挙に同年二月の時点で立候補する予定であつたもの、債務者会社が月刊雑誌北方ジャーナルを出版、販売しているもの、債務者小名は債務者会社の代表取締役であり、同時に森野隼人の筆名で本件各記事を執筆したものであることは当事者間に争いない。

二1  〈証拠〉をあわせると、次のとおりの事実が一応認められ、この認定を左右するに足りる疎明方法はない。

債務者会社は、雑誌北方ジャーナル昭和五四年四月号を昭和五四年二月一八日ころ発行販売しようと準備していたものであり、右雑誌には債務者小名の執筆にかかる「ある権力主義者の誘惑」と題する記事が掲載される予定で、債務者会社においては同月八日校了し、印刷その他の準備にはいつていた。右記事は、北海道知事たる者は聡明で責任感が強く人格が清潔で円満でなければならないと立言したうえ、債権者は右適格要件を備えていないとの論旨を展開するにあたり、四月号記事の各文章を用いるものとされており、その主なるところは、同人は「嘘とハッタリとカンニングが巧みな」少年であつたとか、「五十嵐(中略)のようなゴキブリ共」「言葉の魔術師であり、インチキ製品を叩き売つている(政治的な)大道ヤシ」「天性の嘘つき」「美しい仮面にひそむ醜悪な性格」「己れの利益、己れの出世のためなら、手段を選ばないオポチユニスト」「メス犬の尻のような市長」「広三の素顔は、昼は人をたぶらかす詐欺師、夜は闇に乗ずる兇賊で、言うなればマムシの道三」といつた表現をもつて債権者の人格を評し、その私生活をとりあげては、「クラブ(中略)のホステスをしていた新らしい女を得るために罪もない妻を卑劣な手段を用いて離別し、自殺せしめた」とか「老父と若き母の寵愛をいいことに異母兄たちを追い払」つたことがある旨を記すことにし、その行動様式は「常に保身を考え、選挙を意識し、極端な人気とり政策を無計画に進め、市民に奉仕することより、自己宣伝に力を強め、利権漁りが巧みで特定の業者とゆ着して私腹を肥やし、汚職を漫延せしめ」「巧みに法網をくぐり逮補をまぬかれ」ており、知事選立候補は「知事になり権勢をほしいままにするのが目的である。」と述べて、債権者は「北海道にとつて真に無用有害な人物であり、社会党が本当に革新の旗を振るなら、速やかに知事候補を変えるべきであろう。」と主張するものとなつており、また標題にそえ、本文に先立つて「いま北海道の大地に広三という名の妖怪が蠢めいている 昼は蝶に、夜は毛蟲に変身して赤レンガに棲みたいと啼く その毒気は人々を惑乱させる。今こそこの化物の正体を……。」との文章を記すことになつているものである(右のうち債務者会社が四月号に債務者小名執筆にかかる「ある権力主義者の誘惑」と題する記事を掲載する企画を有し、右記事のなかには四月号記事が用いられることになつていること、四月号は昭和五四年二月一八日ころ道内の書籍販売店を通じて出版販売すべく準備中のものであることは当事者間に争いない。)。

2 次に〈証拠〉をあわせると、債権者は昭和三八年五月から昭和四九年九月まで旭川市長の地位にあり、そのあと昭和五〇年四月の北海道知事選挙に立候補し、さらに昭和五四年四月に施行されることになつていた右知事選挙にも同年二月の時点で立候補する予定であつた(右最後の事実は前示一にも記載のとおり当事者間に争いない。)ことが一応認められ、この認定に反する疎明方法はない。

3  以上の各事実によつて考えると、債権者は、かなり長期といえる期間地方公共団体の地位にあり、債権者に対し社会一般の与える評価は相当に高いものと考えられるのであつて、債権者が前認定の政治経歴をもつことに鑑みると、いわゆる反対勢力から批判・攻撃をうけることは政治家として当然ありうることではあるものの、多数の旭川市民の支持を受け、数次にわたり、市長の地位にあつたことからみても、少なくとも相当の範囲で債権者は、旭川市という地方公共団体の長としてふさわしい人物で、知性をもち、紳士的な言動をとるのを常態とし、地域住民の幸福のためつとめるところがある、と評価されていると解されるところ、他方四月号に債務者会社が掲載を考えている債務者小名執筆にかかる「ある権力主義者の誘惑」という記事は、債権者に関し、その私生活面をとりあげ非難を加え、四月号記事によつてきわめて下品なといわざるをえない表現でもつてその人物評価をし、その表現どおりとすれば債権者は人倫の道をはずれた犯罪者的人物であるとみるほかないことになる内容を読む者に与える表現をとり、債権者の政治姿勢についても、人気とり政策を旨とし、利権漁りをするなどと攻撃するにあたり、四月号記事にある「インチキ製品を叩き売つている(政治的な)大道ヤシ」とか「昼は人をたぶらかす詐欺師、夜は闇に乗ずる兇賊」といつた言葉に代表されるような品のない用語を使つて論をすすめているのであり、かような内容と表現様式をもつ四月号記事を掲載する四月号が頒布されれば、債権者に対する社会的評価を著しく低下させるはたらきをするのは明らかといわざるをえない。とくにその表現形式については、右記事は、債権者が北海道知事たる者として適格か否かの人物論を展開しているもので人となりやその業績を評価していかなくてはならない論稿であるとはいえ、なぜ、全編にわたり、右のような野卑な表現でもつて論をすすめなくてはならないのかが納得できず、結局四月号記事は北海道知事という地位に就くべき者の適格を論ずるにしては、その表現形式だけをとりあげてみても、不必要に下品な表現をとつて債権者の名誉をことさらに著しく傷つけるはたらきをするものというほかない。

4  ところで、債務者会社が債務者小名執筆の「ある権力主義者の誘惑」を四月号に掲載することは憲法の保障する表現の自由にかかわるものである。しかし、憲法によつて保障される権利といえども、いつ、いかなるときにも無制約に行使することが許されるものではなく、まず憲法その他の法によつて保障されている他の者の権利をみだりに侵すことになる表現の自由は法の保障するところでなく、他の諸権利と調和したかたちで保護をうけるのであつて常に公共の福祉によつて調整されなければならないのである。

他方憲法は、すべての国民を個人として尊重し、国民の幸福追求の権利に対し、公共の福祉に反しない限り、最大の尊重を与えることとしている。そして人は、他人とかかわりあいつつ生活して行かねばならぬ以上、必然的に生じる他の者からうけるその人に対する評価が、故なくおとしめられることになつては、その者としては、人と人とのかかわりである社会生活を送るについて、経済面をはじめとする諸活動面で重大な支障をうけることになり、精神的にも個人としての尊厳を傷つけられ、社会生活上一個の人間としてその能力を発揮することも十分にできず、幸福を追求することも望めないことになる。人は人として社会生活上、公共の福祉に反しない限り自由にその能力を発揮できるよう保護されるべきであり、これが十分にみたされていない状況に至つた場合、その状況を排除することが当然はかられなければならず、さらに十分にみたされない状況に至る危険があるときは、そもそも名誉が一たん侵された場合、これを完全に侵害される以前の状況に復させることは、真の意味においては不可能であることに思いをいたせば、これを予め防ぐことも許されてしかるべきである。

現行法は、刑法において名誉毀損罪などにより、民法においては七〇九条そして七二三条により名誉を回復する措置を講ずることを認めて、名誉権の保護をはかつているのであるが、前記のとおり、名誉権が侵されたときは、これを排除し、侵害の危険に対しては侵害を予防する請求権も私法上生じることになるのである。

5  そこで表現の自由と名誉権の各保護を公共の福祉の理念のもと調整しなくてはならないわけであるが、これを安易な一般的基準をもつて律することは避けるべきであり、双方の利害の慎重な比較較量のうえ決するほかないと考えられるので、これを本件について検討することにする。

表現の自由の精神がより強く保護されるべき場合として、その表現することがらが真実で、かつそのようなことがらを公にすることが公共のためになると考えられるような場合があげられる。このような場合はたとえ表現されているところによつて人の社会的評価が低下されるはたらきが生じるとしても、表現者側の自由が尊重されるべきである。しかし、四月号記事についてこれを真実と一応でも認めるに足りる疎明方法は本件で提出されておらず、わずかに〈証拠〉のうちには、債務者小名においては右記事を真実と信じられるようになつたので記事としたとか、雑誌北方ジャーナルの編集長訴外岩崎においても右を真実と信じているとの旨の記載があるけれども、真実と信じたことと、真実であることとはもとより同一ではありえず、かえつて、〈証拠〉によると、四月号記事によつて述べられる債権者の人物評や私生活その他の諸活動に対する債務者小名のくだした評価については、その表現されたところから直ちにうけとられるようなものとはかなり違つたところに実態はあるとの推認が働くのであつて、結局右各記述の真実性は認め難いし、さらに、〈証拠〉によると、債務者小名が右記事を執筆するに当り資料としたのは、かつて債権者が旭川市長選挙に立候補した際債務者らの手で行なわれた債権者に関する記事執筆のための旭川市職員や市議会関係者に面接してえていた聴取結果のほかは、旭川市役所の組織表、職員表、各種統計表、労働協約書などの文書類にとどまつており、捜査機関の者から取材するとか、債権者の友人・親族などに事情をたずねるといつた調査活動はしていないことが一応認められ、右認定に反する疎明方法はないのに、前認定のとおり、四月号記事で債権者をもつて、巧みに法網をくぐり逮捕をまぬかれているものとし、私生活を激しい言葉で非難し、このような攻撃的な表現を用いた記事を、新聞などに比べると迅速性の要請はいささか弱いはずの雑誌に記事を掲載する者としては不十分といわざるをえない調査活動によつて執筆したうえ、代表者の地位にある雑誌の記事とし、右雑誌を債務者会社としては発行頒布する企図をもつているのであるから、四月号記事については債務者らはこれを真実と信ずるにつき相当な事由があつたとさえ言いえない状況にあり、本件債務者らは、その表現するところが真実であることによつて表現の自由の保護をうける立場にはたちえないことがすでに明らかである。そのほか、本件全疎明方法を検討してもさきに認定したところである債権者の社会的評価を低下させるはたらきをする四月号記事の発表を、それでもなお表現の自由の尊重その他の理由によつて、違法でないとするよすがを見出すことはできない。

6  従つて、四月号記事を発表する債務者会社は、債権者の名誉権を違法に侵害するものであり、これに対し、その構成要件に該当する限り刑法による処罰も考えられるほか、民法七二三条などの規定からも明らかなとおり、これとならんで債権者は私法上の救済を求めうることは、本項4の記述によつて肯認できるところであり、また刑法と民法に代表される私法のそれぞれの機能・目的が、一は社会秩序の維持を目ざし、刑罰権の発生要件などを定めるのに対し、他は私人間の利害調整を目的とし、私権の発生を定めるなど、相異なりつつ、両者あいまつて法による社会生活の調和をはかるところにあることを考えても、肯認できるところである。

また法によつて保護されるに値する権利を侵害された者は、法に従つて法による救済措置を当然に求めることができるのであるから、名誉権を違法に侵害された債権者は法による救済措置を当然に求めることができるのであり、右侵害行為に対し、自己の主張を発表して反論する機会が与えられているとしても、反論にでるか否かは、その意思によつて自由に決すべきことであつて、これによらず、法による救済を求めることもなんら差支えないところである。

7  このように、名誉権を侵害された者は、私法による救済として、それぞれの要件にかなうときは、侵害者の不法行為責任を追求し損害賠償さらには名誉回復措置を求めることも、侵害の排除さらに侵害の予防を求めることも許されるのであり、右侵害行為が表現の自由にかかわるとの一事をもつて、右各請求権の存立を否定することはできない。

しかし、右各請求権が、たんに名誉を侵害するとの事実のみにより当然に生ずるものではないことは、例えば不法行為責任の成立には行為者の故意・過失を要することからして明らかである。そこで債権者が、本件において申請の根拠とする侵害予防請求権の発生要件につき検討してみることにする。この請求権の発生も名誉の侵害の危険のみにかかるものではないことは、憲法が検閲を禁じて表現の自由を保障しようとした趣旨からも明白である。なぜなら右のような侵害予防を認めることは、たとえそれが一方の当事者からの申請があつてはじめてある特定の表現物について司法機関が判断をくだし、それを発表することを予め差止めうるかをきめるのであつて検閲そのものには当らないものであるにせよ、これを誤つて安易に認容することになれば、右憲法の趣旨を無にすることになるからである。従つて右のような事前差止を許すのは、侵害者と被侵害者双方の利害の慎重な比較較量を行つたうえ判断を下すべきであるが、これが許される場合として、明らかに名誉毀損行為に当る行為が行なわれると被害者のうける損失は極めて大きいうえ、その回復を事後にはかるのは不能ないし著しく困難にあると認められるときがまずあげられる。

そして、二のないし3で示したところによれば、四月号記事が債権者を中傷・誹謗し、その名誉を明らかに毀損するはたらきをもつことは容易に肯認できるのであり、かつ、四月号記事は四月号に掲載される企画になつているもので、債務者会社は四月号を昭和五四年二月一八日に発売すべく同月八日校了し、印制準備にはいつていたことも二の1で示したところであるうえ、右企画がその後債務者会社において変更されたことなどなんら主張されておらず、むしろ、〈証拠〉に弁論の全趣旨をあわせると債務者会社はその後も右企画を自発的に放棄ないし変更するようなことなどまつたく考えていないことまでが一応認められ、右認定に反する疎明方法はなく、従つて、七二号仮処分決定がくだされた時点で、四月号記事を用いた記事を掲載している北方ジャーナル昭和五四年四月号という特定の雑誌が、近い時期に頒布されるようになるであろうことが極めて高い蓋然性をもつて肯定され、このような事態が債務者会社の自発的な意思により変動したようなことは今日までないのであり、さらに前示の四月号印刷及び発売の各計画よりして、北方ジャーナル昭和五四年四月号と題された雑誌が発売には至つていないにせよすでに存するようになつていたことも前回同様肯定され、債務者会社の四月号発売による債権者の名誉の侵害が明らかに行なわれようとしていることになり、次に雑誌北方ジャーナル四月号が発行されようとした昭和五四年二月は、債権者が同年四月施行の北海道知事選挙に立候補予定であつたときであることは前示一記載のとおり当事者間に争いなく、また〈証拠〉によると、四月号は五万部ほど発行される予定となつていることが一応認められ、右認定を左右するに足りる疎明方法はなく、このように地方雑誌としては少なくない部数の雑誌が発売され有権者の目にふれることになれば、二の2で認定したような公の場に立つことが多い債権者は、右知事選挙における候補者としての立場においてももとより、その後も各方面の活動に際し多大の損失をうけることになり、しかもその損失の回復は、名誉毀損による損失の性質上からも、さらに選挙あるいは政治活動に関しての損失という性質上からも、これを数量的につかむことがむずかしく真の意味の回復はまことにはかり難いため、回復は極めて困難と判断できる。

そのほか二の5で認定した債務者小名の本件記事執筆に当つての態度や四月号記事の真実性に関する事情そのほか本件諸事情を考えあわせると、右記事を掲載した雑誌の頒布を事前に差止めることは許容されてしかるべきであり、かような請求権を被保全権利として保全処分を求めることも、疎明によつて、事前差止を求めうる請求権の存在が肯定できるに足る段階に至り、かつ保全の必要性などの要件がみたされるとき、また許されることになる。

8 本件において四月号記事の掲載される四月号の頒布等を事前に差止めうる請求権を債権者が有していることは、すでにみたとおり疎明されており、また二の7で述べたとおりの四月号の印刷あるいは発売準備状況とこれについての債務者会社のその後の意図に加えるに、当事者間に争いのない事実である、債務者会社発行にかかり本件記事22ないし32が用いられている記事が掲載されている一一月号について昭和五三年一〇月一七日札幌地方裁判所より頒布販売禁止等仮処分がなされたのに対し、債務者会社は雑誌北方ジャーナル昭和五四年一月号において、右仮処分における裁判所の判断を批判し雑誌等で断固たたかうなどと記載された記事を掲載して一一月号と同様の記事を掲載することを宣言した事実、そして、本件記事22ないし32は債権者に対する人物評価などを行つているものと認められる事歴に照らしつつ、四月号の発刊進捗状況をみると債権者としては、名誉権の侵害予防の本案訴訟の確定等をもつていては、債務者会社の四月号頒布による名誉権の侵害を予め防止することは望めないことになると判断できるのである。

9 そうすると、前記のとおり、債務者小名の執筆した、四月号記事を内容とする「ある権力主義者の誘惑」を掲載した四月号を発刊する企画を会社としてもちつづけており、〈証拠〉と弁論の全趣旨によると、訴外山藤印刷株式会社を直接の所持人として、それぞれ一個の物として観念され頒布もこれを単位としてなされ、しかも右記事を中核の記事とし、この記事あるため通常の発行部数を大巾に上まわることになつた四月号を占有すると一応認められこの認定を左右するに足りる疎明方法はないとみられる状況にあり、また二の8記述の事歴をもち、債務者小名を代表者とする債務者会社に対しては、債権者として、二の7でみたとおり近い時期に発売されることが高い蓋然性をもつて肯定され、四月号記事を用いた記事を掲載している北方ジャーナル昭和五四年四月号ということで特定でき、仮処分の内容を明確にするには十分といえることになる四月号を印刷、製本、販売、頒布させてはならない旨の仮処分、ならびに、本件においては、この四月号を執行官の保管に移す旨の仮処分を求めることができると解される。従つて、この旨の債権者の申請に対し、昭和五四年二月一六日債務者会社に対する関係では主文目録(一)記載の趣旨となる決定をした札幌地方裁判所七二号仮処分決定は依然として正当である。

10  ところで債務者会社は、七二号仮処分決定は許されないものであるとし、種々の主張をなすのであるが、その主張するところは、債務者らの主張3(一)(三)(四)を除けば、いずれもこれまでに判示したところと相違する前提に立つか、または判示したところと異る独自の理論をとるものであつて、当裁判所としては、これらを採ることはできないので、以下右3(一)(三)(四)の主張に対する判断を示すことにする。

(一)  債務者会社は(債務者らの主張3(一)において)、七二号仮処分事件の申請に際し、四月号記事の内容を明らかにするとして提出された疎明方法は、債務者会社側の所有し占有するものを盗み出して提出したもので、このような盗品をもとになされた仮処分申請とこれを容れた決定は無効と主張する。そして〈証拠〉には右主張に一部そう記載があるにはあるが、それらはいずれも憶測の域を出ないものであり、そのほか右主張にそう疎明方法はない。このように債務者会社の主張する事実を一応でも認めることはできないのであるが、そのほか保全処分における疎明方法の収集についてなんらかの違法の廉があつたとき、その不法行為責任を追求することは当然としても、それをもつて直ちに保全処分の申請まで常に許されないとすることは行きすぎであり、疎明方法収集の違法性をもたらす事情が申請者の仮処分申請という行為につき債務者たる相手方との間の関係上信義則に反する結果となるような特段の事情となるような際などにのみ、はじめて保全処分の申請は許されないと解すべきであるところ、債務者会社はこの点につき主張疎明していないので、いずれにしても、債務者会社のこの主張は採用できない。

(二)  次に債務者会社は(債務者らの主張3(三)において)、七二号仮処分決定執行の際の違法を指摘し、さらにこのような違法執行をもたらすのは右仮処分決定が不備な故であると主張する。

しかし、まず、右のうち執行の違法それ自体は執行方法に関する異議により主張すべきもので、仮処分決定への異議事由そのものとすることは許されないうえ、保全処分の執行が債務名義の送達前といえどもなしうることは民訴法七四九条三項、七五六条に定めるところであつて、債務名義の送達の点をとらえ、仮処分決定自体を不備とする債務者会社の主張はその前提を欠き失当である。次に七二号仮処分決定がその頒布等を差止めるものとして四月号と定めたことは、すでに本項9(及びそこで前提とした各項における記述)で明らかにしたとおり、右四月号が一個のものとして観念され頒布もこれを単位としてなされることや、仮処分決定時の四月号発行準備情況などからして、四月号記事が公にされることによつて債権者の名誉が侵害されることを予防するためには、仮処分として必要なものといえるのであるから、七二号仮処分決定には不備はない。

(三) 七二号仮処分決定の保証金は二五〇万円と定められているところ、債務者会社は右各保証金が過少である旨(その主張三(四)において)主張する。しかし、右仮処分決定についてはすでに述べたとおり被保全権利と保全の必要性の存在は十分に疎明されており、そのほか右仮処分決定に関する諸事情を考えても右決定が不当とされる可能性はさして高くないし、また右仮処分決定が不当であつた場合に生ずると考えられる損害額と対比しても、右仮処分決定における前示保証額は妥当な範囲を逸脱していないといえる。債務者会社のこの主張も採ることはできない。

三1  本件記事1ないし3が臨時増刊号に掲載されたことは当事者間に争いなく、本件記事4ないし21が四月号に、同22ないし32が一一月号に各掲載されたこともすでに述べたとおり当事者間に争いない。

そして本件記事4ないし21が、その表現形式だけとりあげてみても不必要に下品な表現をとり債権者の名誉をことさらに著しく傷つけるはたらきをするものであることは、二の3でみたとおりであるが、このことは本件記事1ないし3ならびに22ないし32の各文章についてもいえるのであつて、債権者に対し「スパイを使い(中略)機密を盗む」とか「子分をして盗ませ、それを横領着服した」と攻撃して、債権者を犯罪者ときめつけ、さらに「金儲けと立身出世のためには手段を選ばぬ悪どさは、いかなる詐欺師も舌をまく」「一種の化物」「革新の名を騙るペテン」「金儲けと出世のためなら平気で人を騙し手段を選ばない」「小細工に長け」「私腹を肥やそうと計画」「いくら猫ババしたかは解るべくもないが、ずいぶん悪どいことをする」「狡猾を絵にするペテン師」「遊郭から這い出た」といつた表現をもつて債権者に非難をあびせ、このような表現に従うと、債権者は悪辣な犯罪者とみるほかないことになる文言を用いているのであり、さらに本件記事の各文旨を検討すると、すでに本件記事4ないし21については二の3で明らかにしているごとく、それらは債権者をもつて私利私欲をはかることをその唯一の行動指針とし、そのため必要とあらば犯罪行為にはしることも恥じず、国や国民のことなどまつたく考えるところのない人物とうけとらざるをえないところの全部または一部の意味ある内容を読者に伝えるのであり、これらがそれぞれ、二の2及び3で示す債権者の社会的評価を著しく低下させるはたらきをもつのは明らかである。

2 債務者らが本件記事を雑誌に掲載するなどして外部に発表することは表現の自由に関わつてくるものであるから、二の4ないし7で述べられた考えによつて、債権者が債務者らに対し、本件記事に関し申請している仮処分を許すことができるかを前同様検討していかなくてはならない。

まず本件記事の真実性について考えるに、本件記事1ないし3に述べるところについては二の10の(一)で検討したところからも明らかなとおり、〈証拠〉にこれに関する憶測が記載されている程度であつて、右記述にそう疎明方法はなく、本件記事4ないし21については二の5ですでに検討ずみであり、同22ないし32についても二の5における右検討の際の各疎明方法と弁論の全趣旨によると、右二の5におけると同様の検討結果となるので、いずれも記事内容が真実であるなどの故をもつて、債権者の妨害予防の請求権を排することはできず、また本件全疎明方法をもつても、なお本件記事の発表を、表現の自由の尊重その他の理由によつて、許容できるよすがを見出すことはできないのである。

次に当事者間に争いのない事実として二の8でも示した、一一月号について昭和五三年一〇月一七日札幌地方裁判所より頒布販売禁止等仮処分がなされたのに対し、債務者会社は雑誌北方ジャーナル昭和五四年一月号において、右仮処分における裁判所の判断を批判し、雑誌等で断固たたかうなどと記載された記事を掲載して一一月号と同様の記事を掲載することを宣言した事実に、これも当事者間に争いのないところである四月号についても昭和五四年二月一六日前同裁判所により頒布販売等禁止の仮処分(七二号仮処分決定)がなされたのに対し、債務者会社は臨時増刊号三二ページないし三九ページにおいて債務者小名執筆にかかる四月号五〇ページないし五一ページに掲載企画中の記事の一部をそのまま引用してある記事を掲載し、債務者小名は臨時増刊号二九ページにおいて四月号の記事は構想をあらたにし題名をかえて近々他の出版社により発売することになつている旨述べた事実をあわせると債務者が近々のうちに本件記事と同旨の記事を掲載した著作物を印刷、頒布、販売する可能性は極めて高く、また債務者小名が本件記事同旨の記事を掲載した著作物を自ら印刷、頒布、販売し、または第三者をして印刷、頒布、販売させる可能性も極めて高い、と判断をくだすことができ、債務者らの右各態度がその後変動したようなことは主張も疎明もなく、むしろ弁論の全趣旨によると、同一態度が維持されているとまで一応認められ、これに反する疎明方法はないといえるところ、本件記事がそれぞれの表現形式と内容によつて債権者の社会的評価を著しく低下させるはたらきをもつことが明白なことはすでに示したところであつて、このような本件記事と同旨の表現をもつた記事を公にされると、二の7でも示したとおり、昭和五四年二月の時点ですでに同年四月施行の北海道知事選挙の立候補者の立場にあり、また二の2で示すような公の立場に立つことの多い債権者としては、知事選候補者としても、その後の各方面での活動面においても多大の損失をうけることになり、しかもその損失の回復が困難なことは二の7で示すとおりであり、そのほか本件諸事情を考えあわせると、債権者は二の4ないし7で示した考えによれば、本件記事と同旨の表現を用いた記事を近い将来頒布すると高度の蓋然性をもつて判定できる債務者らいずれに対してもそれぞれ右記事を頒布することを、名誉権侵害を予防するため、予め差止めることを求めうると解され、また前示の債務者らの前雑誌における発言内容やこれまでの事歴に照らすと、右差止は本案訴訟の確定等をまつていては債権者としてはその名誉権をまもることも望み難いことになると判断できるのである。

そうすると、債権者・債務者ら間の名誉権に基づく侵害予防請求権の有無という具体的な法的紛争について法に従つて審理し、債務者らそれぞれの行為のうちに債権者に右請求権が与えられる縁由があると判断し、債務者らにそのような行為ある故に法律を適用して、債権者の申請に対し、昭和五四年三月一四日主文目録(二)記載の決定をし債務者らに対し本件記事と同旨の表現をもつた記事を自らまたは第三者をしてあたらせ印刷、頒布、販売などにより世人の前に公にする行為と範囲を限り、これをなしてはならないことを命じた札幌地方裁判所一二八号仮処分決定は依然として正当である。

3 一二八号仮処分決定に対しても債務者らは、さまざまな主張をし、これを許されないと主張するのであるが、その述べるところは、債務者らの主張3(四)を除けば、いずれも三の2及び3(及びこゝでその前提とした範囲の二の各項)で判示したところと相違する前提に立つか、または判示したところと異る独自の理論をとるものであり、当裁判所としてはこれら見解はとりえないところであり、また右3の(四)の保証金が低きに失するとの主張についても、一二八号仮処分決定につき、すでに述べたところから明らかなとおり、二の10の(三)で述べたと同趣旨の考えがあてはまるのであつて、債務者らのこの点についての主張も採用することはできない。

四以上検討したとおり、債権者の本件各仮処分申請は、いずれも被保全権利、保全の必要性を具備し、要件をそなえており、債務者主張の実体的手続的瑕疵は何ら存在せず、本件各申請は認容すべきもので、本件記録を精査するも違法な点は存しない。よつて七二号事件、一二八号事件について債権者の申請を認容した本件各仮処分決定を認可することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(谷川克 野崎弥純 岡部喜代子)

〈別紙〉

〔主文目録(一)〕

一 債務者株式会社北方ジャーナルの別紙目録記載の著作物に対する占有を解いて札幌地方裁判所執行官にその保管を命ずる。

一 債務者株式会社北方ジャーナルは右著作物の印刷、製本並びにその販売又は頒布させてはならない。但し、目的物目録記載の記事の記載のないものは除く。

〔主文目録(二)〕

一 債務者株式会社北方ジャーナルは、債権者の名誉を侵害する別紙記事目録(一)1ないし32の記載と同旨の表現を用いた記事または著作物を印刷、頒布、販売してはならない。

二 債務者小名孝雄は、債権者の名誉を侵害する右同目録1ないし32の記載と同旨の表現を用いた記事または著作物を自ら印刷、頒布、販売し、または第三者をして印刷、販売せしめてはならない。

〔目的物目録〕

債務者株式会社北方ジャーナル発行の「北方ジャーナル」一九七九年四月号

但し、「ある権力主義者の誘惑」と題する二四ページから五一ページまでの記事の掲載のあるもの

〔記事目録(一)〕

1 戦争中は法にもとづいて警察が検閲したが、五十嵐は憲法に厳然と謳つている言論の自由を無視して、スパイを使い、本稿の機密を盗み、単に(株)北方ジャーナルだけでなく、なんの関係もない山藤印刷や、その下請けの中小企業の操業を停止せしめ、企業やそこに働く労働者に多大な損害をあたえたのである。

2 五十嵐広三は、この「北方ジャーナル」の最高機密であり、財産である「ある権力者の誘惑」の情報を盗ませ着服したのである。

泥棒でも、巾着切りでも、その親分あるいは元締めは子分や手先を使つて、他人の金品を盗ませ、その殆どを親分がふところに入れ、子分たちには僅かな分前しかやらないのが普通である。一番悪い奴はなんと云つても親分や元締めである。

こんどの場合も全くそうである。

3 それだけ値打ちのあるゲラ刷情報を五十嵐広三は子分をして盗ませ、それを横領着服したのである。五十嵐は子分や手先きに、どれだけの報酬をあたえたかはしらないが、それは五十嵐が横領着服した価値に比べ、まことに微々たるものにすぎなかつたにちがいない。

4 五十嵐の場合は知事になり権勢をほしいままにするのが目的である。だから「地べたをはつても」「どんな嘘をついても」「どんな卑劣な手段を使つても」「赤レンガを占領する」という発想が生れるのである。

五十嵐も吉村も山口も、権勢をほしいままにした市長時代の味が忘れられないのである。三人共市の財政を破産状態に追い込みながら、チャッカリ私財を蓄えた豪傑であり、赤レンガの味はまた格別と舌なめずりしているわけである。

なるほど五十嵐は利口だといわれる。しかし、それはどんなに割引きしても“総明”の意味にはうけとれない。彼の場合“総明”さに欠け、“狡猾”さだけが妙にギラギラするのである。

尚弘少年と広三少年と比べると、広三少年の方が頭がよかつたかもしれない。金剛石も磨かずばで、広三は小才のきくのを鼻にかけ勉強を怠つた。ために旭川中学に入学できず二流の旭川商業に進まざるを得なかつた。

旭商の入学は裏口ではなかつたかといわれるが、嘘と、ハッタリと、カンニングの巧みな、この小金持の色白の少年が人々にチヤホヤされている間にすつかりナマケ癖がついてしまつたようだ。

汗もかかず、手も汚ごさずに金儲けし、口先きだけで人を躍らし、労さずして地位を得ようという、その汚ない根性は、決して色里に育つたという母の血のなせるワザではない。保守候補の分裂抗争を幸いに、棚ボタ方式で旭川市長に初当選したのは、更にこの性格に拍車をかけ、五十嵐を救いようのない人間にしてしまつた。

後述するが市長としての十一年余りの五十嵐は、嘘と自己宣伝と私財を肥やすことに終始し、都市の発展、近代化は全くおざなりで福祉も名ばかりで実効はさつぱりであつた。その無責任きわまる行政によつて腐敗は深まり、市役所を私物化するゴキブリ役人がゾロゾロで、既に市長としては落第坊主のレッテルを貼られていた。

私生活も放蕩をきわめ子供まで成した妻を離縁し自殺に追い込むなど、人間として真に許されざる人物で、品性あくまで下劣である。

ある旭川の有力な病院長は「五十嵐広三は悪人である」と喝破した。五十嵐の武器は巧言令色である。嘘とハッタリと猫なで声で人々をたぶらかし、端麗な容貌と卑猥なスマイルで人々を幻惑させるのである。

そこには一片の誠実も見られず、無責任で将来への展望もなく、その場かぎりのヘツライがあるだけである。こんな男に知事の適格性があるわけがなく、立候補予定者としてマスコミに騒がれるだけでも胸がむかつき、ヘドが出る。五十嵐は北海道にとつて真に無用有害な人物であり、社会党が本当に革新の旗を振るなら、速やかに知事候補を変えるべきであろう。

5 五十嵐広三は元来思想もなにもない男である。なるほど五十嵐は絵を書いたり本を書いたりして、自分は文化人であり、インテリである、というポーズをとつているが、それはポーズだけで内容はカラッポだ。

選挙宣伝用の著書もあるにはあるが、いずれも有名人が書いたサワリを盗作したり、粉飾したりして、辻褄をあわせているにすぎず、一貫性がなく何を訴えているのか解らない。

東条英機首相がくれば、その宿舎の門前に立つて自分を売り込み、チヤーチルが絵を書けば、自分も下手な絵を書き、道路も下水道も完備しないまま、やたらに彫刻を野外に据え、それで文化都市だなどとうそぶき、それらの文化人を選挙に利用しているのである。

流行に弱く、テレビのコマーシャルに耳を傾け、気のきいた文句があれば、すぐ真似をして自分の物にしてしまう才能だけは達者で苫小牧開発を一点豪華主義などと批判する。デパートのウインドを飾る毛皮の外套でも評するなら別だが、開発という地味な政策に、一点豪華主義などの言葉はうつらない。

彼は言葉の魔術師であり、インチキ製品を叩き売つている(政治的な)大道ヤシである。論理性がなく、異和感があろうがなかろうが、言葉に新鮮な響きさえあれば、たちまち自分のコマーシャルに使う。人々は新しい言葉に酔うが、よく考えて見ると何を訴えているのか、よく解らない。しかし、なンとなく「五十嵐は格好いいじやないか」という感触だけは残る。つまりフィーリングがいいというわけだ。

ヒットラー政権の宣伝相にゲッペル、という宣伝の天才がいて、巧みなスローガンをつくり、純心な少女を使い、ヒットラーの人気を高め、ドイツ国民を鼓舞し戦争に駆り立てたが、五十嵐はこれに勝るとも劣らないアジテーターであろう。

いま不確実性の時代だというが、そういう時は大衆は不安を抱いており、つまらない迷信にこったり、詐欺師にだまされたり、実体のないスローガンに夢中になつたりするものだが、そこが五十嵐のような男のツケ目なのだ。

6 五十嵐のいつていることを聞いていると、あたかも絵に書いた餅が喰えるかのような錯覚に陥いる。描かれた餅は喰えない。五十嵐は天性の嘘つきであり、彼が赤レンガの主になれば大衆は迷惑するし、不況は深刻になり技術労働者はソ連に売り渡される可能性が出てくる。

五十嵐広三に高邁な思想はない。強いてしぼれば金権主義が残る。人を欺いて金を儲けその金で組合ボスや社会党の顔役を買収し、保守分裂の間隙を縫つて当選。今度は市長の権限をフルに悪用して企業と癒着、更に汚ない金を集めて全道労協や社会党道連の実力者たちにバラまき、知事候補者にのし上がつた。

五十嵐の父は、旭川で有名な馬方上りの逞ましい経済人であつた。その父が晩年溺愛した若く美しい女郎がおり、二人の傑作がすなわち広三である。広三の武器は母ゆずりの美貌と口先きのうまさである。そして一にも金、二にも金、金のためなら義理も人情も糞クラエの処生術である。

五十嵐は確に三拍子揃つていた。美貌、能弁、金である。この三つのうち、どれ一つ欠ても広三は市長にはなれなかつたろう。世の中には鬼のような顔をした仏もおり、逆に仏のような顔をした悪魔もいる。五十嵐は後者だ。

道民は、五十嵐の美しい仮面にひそむ、醜悪な性格を見きわめなければならないし、その耳に快よく響く流暢な言葉の裏の嘘と卑劣さを見抜かなければならない。

7 つまり五十嵐広三は、知事になりたい一心で協会派の虜となり、選挙という名の猟官運動をやつているわけでもある。これでは「革新の大義」が泣くというものである。

8 五十嵐は老父と若き母の寵愛をいいことに、異母兄たちを追い払い、雑穀商を営み、農民をサク取して金を儲けた。働く農民の貧しさを知つていたら一等級の豆を「三等級だ」とか、「乾燥がが悪い」などと偽わつて買い叩けるものではない。

9 また五十嵐広三は旭川市長として、反自衛隊、反自民、反日本の活動が認められて、昭和四十五年九月、ソ連最高会議より日ソ親善功労章をうけている。彼がソビエト共産党の秘密党員でないかとの疑惑は、このときに生じたのである。

10 五十嵐は軍都旭川に育ちながら市長時代終始自衛隊を攻撃、冷遇したのは有名である。「あの生ッ白い五十嵐に、革命などと、そんな大それたことができる筈はない」と想う人がいるかもしれないが、それは認識不足も甚だしい。

五十嵐はクラブ弁慶のホステスをしていた新しい女(津由子)を得るために、罪もない妻を卑劣な手段を用いて離別し、自殺せしめた冷酷無情な男である。己れの野心、欲望を果たすためには妻も娘もなく、手段も選ばない残忍な性格である。

11 また五十嵐の性格は異母兄を疎外し、妻を自殺に追いやり、娘の性格を歪め、礼節と愛情に欠ける冷たいものである。

12 ところで五十嵐広三は無思想無節操な金権主義者であり、自分さえよければ大衆の迷惑もクソくらえの御都合主義であることは前にも書いた。

13 協会派や五十嵐は人間を全部敵と味方に区別して、味方ならどんな嘘つきでも、どんな悪党でもとり立てる一方、敵の存在は認めずその話には一切耳をかさず、あらゆる手段を使つて押し潰していくというのが根本思想で民主主義の敵である。

14 これは釧路、帯広、旭川における革新という名のペテン市政にもピッタリあてはまる。つまり、五十嵐、吉村、山口はメス犬の尻のような市長であつたというわけである。

15 常に保身を考え、選挙を意識し、極端な人気とり政策を無計画に進め、市民に奉仕することにより、自己宣伝に力を強め、利権漁りが巧みで、特定の業者とゆ着して私腹を肥やし、汚職を漫延せしめた。従つてこれら三市の革新腐敗長期政権が倒れたのは、黒い霧が要因であつた。

16 五十嵐―吉村―山口の三人組は巧みに法網をくぐり逮捕はまぬがれているものの、五十嵐広三の高野観光をはじめ、広野、新谷、北野の三建設会社とのゆ着、

17 五十嵐は東海大学の誘致にからみ、寄附された土地を高野観光の名儀にし、うまい汁を吸つた。

18 五十嵐―松本勇(旭川前市長で五十嵐のカイライ)は昨年十月、市長選告示前に、旭川市内須貝ビルを十三億円で買い、一億数千万円の汚ない金をふところにした

19 また五十嵐は前回の知事選で参謀をつとめた腹心の遠藤徹夫を市役所に復職させた上、北海道市職員組合事務局長に出向させ、選挙資金集めの一案として、共済会館の設立を企図、設計事務所、建設会社、電機工事会社、材料店などからウラ金を集めようとした

20 こういう類に囲まれて「旭川のイーさん」「十勝のヨーさん」「釧路のヤーさん」(年齢順で吉村―五十嵐―山口と並べれば、その頭文字はヨイヤであり、五十嵐を頭に山口―吉村と続ければイヤヨであるのも皮肉である)と東京や札幌で浮名を流しているのだから、市役所が悪の温床といわれるのも無理がないと云うものである。

すなわち中国農民が語る役人はコウピーヤメン(狗尻衛門)五十嵐―吉村―山口はメス犬のおしりで、市民は根こそぎしぼりとられ残るのは破産寸前の赤字財政だけであつた。もし五十嵐が知事になれば、道政に百鬼夜行し、組合ボスや、労働貴族、政治ごろたちに道民は根こそぎしぼりとられる。

21 五十嵐が梅毒にかかつたことがあるかどうかは知らないが、自己誇大視する性格や生立ちはそつくりである。五十嵐広三も後妻の子に生れ、その母の溺愛をうけ、商業学校に入つたが、生れつきのナマケ者の勉強嫌い、美術好きで、自ら絵筆をとり、大風呂敷を拡げ、大学に進めなかつた。五十嵐が日本社会党に入り、天皇や議会制民主主義者や自衛隊を口をきわめてののしるのも、最初の同棲者である前妻を自殺に追い込んだのも、ヒットラーの歩みとワダチをおなじくしている。

五十嵐の計算された演技、相手の性格や弱点をとらえたクスグリやゼスチュア、そして巧みな自己宣伝でマスコミを躍らせ、得意なマスクと雄弁で大衆、とりわけ女性を魅了するのもヒットラーとおなじである。ヒットラーは「ハイルヒットラー」と己れの名前を大衆に叫ばしめたが、五十嵐もあらゆる選挙で己れの頭文字をシンボルマークに定め、五十嵐広三と歩む”とか、“五十嵐広三と拡げよう”とか、必ず己れの名前を前面に押し出している。

この点堂垣内後援会が“みんなで築く北海道”と北海道を前面に打ち出しているのを見ても、その差がうなづける。五十嵐の不合理性、無責任さ、極端にオーバーな演説や行動、生爪をはがしても、這いづり廻つてでも赤レンガを占領するという、狂気、呪そはヒットラーそのものである。

ヒットラーは自ら築いた第三帝国を崩壊させ、ドイツ民族を不幸のどん底に突き落したが、五十嵐、また己れの掌中にあつた旭川を落城させ、五百万道民を不幸のどん底に突き落そうとしているのである。

こうした破滅の軌跡はヒットラーと五十嵐広三にあたえられた運命である。吉村博は五十嵐を白馬に跨る鞍馬天狗と評したが、それは明らかな誤りで、広三の素顔は、昼は人をたぶらかす詐欺師、夜は闇に乗ずる兇賊で云うならばマムシの道三、こんな悪党を知事にしてたまるものか、断じて道民の運命を委せるわけにはいかないのである。

22 五十嵐は田中角栄や小佐野賢治とおなじように、戦後の権威と秩序とモラルの喪失した時代の申し子である。金儲けと立身出世のためには手段を選ばぬ悪どさは、いかなる詐欺師も舌をまくであろう。

馬方上がりの老父と若き女郎の間に生れた五十嵐広三は一種の化物である。それに比べると松本勇は、沈香も焚かず屁もひらず、いつもヘラヘラと上司に媚びへつらつて助役になり、市長になつた男である。

23 とにもかくにも五十嵐広三という化物から松本勇というゴキブリに引き継がれた16年間にわたる“革新の名を騙るペテン”が、旭川市政をゆがめその発展を阻み、八方塞がりに追い込んだことは事実である。化物やゴキブリには眷族が多い。いくら退治しても、あとから簇生するのが、その特徴だ。

しかし、長い間、市政に巣喰い、吾が世の春を謳つてきた化物やゴキブリ共に鉄槌を下す日がついにきた。旭川開基88年の記念事業は化物・ゴキブリ退治である。

化物の正体は余りにも醜悪だし、ゴキブリを潰せば悪臭を放つ。だが、その醜悪さに眼を蔽い、悪臭を厭い、タタリを恐れていたのでは開基88年の記念事業は成功しないし、旭川市政の八方塞がりは打開できない。

24 彼が母の血を引き、女湯しで、金儲けと出世のためなら平気で人を騙し手段を選ばない男であることは、あらためて述べる必要もあるまい。

五十嵐が前夫人を追い出し、クラブ「弁慶」のホステスと不倫な恋にふけり、為に前夫人は悲嘆のあまり郷里に帰り服毒自殺を遂げた。その保険や遺産などの後仕末についても、五十嵐の仕打ちは冷たく汚ないものであつた。そしてその前夫人との間にできた娘が自暴自棄に走り非行化した話。クラブ環のホステス町子とただれるような関係、五十嵐のスキャンダルについては耳にタコができるほど聞いてきた。

25 いまでは旭川医科大学の誘致は五十嵐の手柄にされているが、これは真赤な嘘である。実際に働いたのは松浦周太郎や堂垣内知事、そして亡くなつた盛永要商工会議所会頭と森山元一であつた。五十嵐は陳情についてきてもくだらんことを云つて、誘致運動の邪魔になつた。あるとき文部大臣に「君は誰だ、出て行け」と怒鳴られて退場し、それから都市センターで電話をしていたのが実状だ。それが陳情団より一足先きに旭川に立ちもどり、いかにも自分がやつたように吹聴し、記者会見して宣伝これつとめたのだからずるいものである。

26 五十嵐はこういう小細工には長けているが、旭川飛行場のジェット化についても私腹を肥やそうと計画し、そのため飛行場建設は大幅に遅れた。旭川―東京間は一日三便で現在プロペラのYS11機で二時間五〇分かかる。これをジェット化して便数を増せば一時間半の短縮となり、それだけ経済活動が活発になる。これは当面の旭川市民の夢である。さて飛行場建設費の70%は国が出し、あとの30%のうち道が15%市が15%出すわけだが、飛行場の位置の設定、用地の買収は旭川市の仕事である。五十嵐は市長の立場を利用して、かねて資金ヅルになつていた高野観光(当時高野美代子社長、荒光男専務)や旭川信金(西山勲理事長)と共謀し、滑走路の位置を強引に聖和地区に設定し、土地転しであぶく銭をせしめようとしたのである。

つまり旭川信金から特別融資をうけた高野観光が、土地所有者である農民から安く叩き買つて、それを旭川市が高く買うという図式である。

27 ところが聖和地区は土地改良事業区域であつたことと、医大に余り近すぎて騒音問題が起きるという観点から反対され、五十嵐もかなりねばつたが断念せざるを得ず、高野観光は儲けそこなつた。

五十嵐はこのことで高野観光に借りができたわけだが、その借りはすぐ精算できた。本誌先月号の投稿〈旭川市政の黒い霧はまだ晴れない―東海大誘致にからむ一市民の告発〉によれば昭和45年五十嵐は東海大誘致のためには札幌在住の田中藤五郎より一、一二〇平方メートルの土地の寄贈をうけ、市から感謝状まで出した。

ところが五十嵐は、この寄贈された土地を市の所有地とせず、高野観光荒光男と共謀して売買の形で高野観光に移転登記し、翌昭和46年これを東海大学に売却しているのである。田中藤五郎からタダでまきあげた土地を高野観光がいくらで買つて、東海大学に幾らで売り、五十嵐がいくら猫ババしたかは解るべくもないが、ずいぶん悪どいことをするものである。これが元の所有者である田中藤五郎より、詐欺罪で訴えられるか、あるいは所有権の返還請求がなされたら、いつたいどういうことになるであろうか。市長の職を利用して感謝状という詐術で土地をまきあげた証拠は歴然としている。多分五十嵐は詐欺罪と背任罪で懲役一年は喰らうことになるのではないか。

28 五十嵐は狡猾を絵にするペテン師であり、松本はその忠実な助手、二人の巧みなスクラムと演出によつて、食べられもしない餅代を旭川市民は払わせられているのである。

29 五十嵐と鮎田の関係は、鮎田がまだ商工部の課長時代から始る。その頃五十嵐は民芸品の販売会社を創つてアップアップの状態であつたが、鮎田は東京に出張する際、大抵五十嵐がそのあとをくッついて歩き、市役所の信用で民芸品を売り込んだいきさつがある。

そして五十嵐が上京するとき、必ず当時まだクラブ弁慶のホステスであつた津田由子(現夫人)を伴なつていた。鮎田は、その頃の五十嵐の旧悪を握つていて、夫婦共々に売り込んだという話で、五十嵐―松本が考えていた和田豊吉を「女癖悪く、あいつを助役にすれば松本市長にも五十嵐さんにも傷がつく」と排斥したといわれる。従つて助役になつた鮎田は遠藤をかばわなければならなかつたのである。

30 遊郭から這い出たという五十嵐とは妙な取り合せではないか。

31 いつたい駅前の買物公園が旭川市民全体にとつて、どんな意味があり、どんなふうに役立つているのか、ガラクタのように、どこにもここにもチゃチな彫刻が置いてあり、それには市民の高い税金が支払われているが、五十嵐―松本はどれだけのリベートをふところにしているか、市民は疑問を抱いたことはないのだろうか。

32 五十嵐―松本の人事もそれで保守系と見られると、徹底的に冷飯を喰わせる。締めつけやスパイは日常茶飯事で、そのために職員は疑心暗鬼に陥り職場の和を著しく欠いている。

典型的な報復の例がF課長だ。彼の夫人が五十嵐の対立候補の夫人と親しくて封筒書きを手伝つたのがバレ、五十嵐は直ちにF課長を玄関の案内嬢の机に座わらせた。昨日までの課長が、今日からはアルバイト嬢のかわりに人目にさらされたのである。こんな非道は許されてはならないのだが可愛そうにFは半年ほど我慢して勤めていたが、やがて泣く泣く辞めて旭川から姿を消したといわれる。

〔記事目録(二)〕

1 いま北海道の大地に広三の妖怪が蠢めいている

昼は蝶に、夜は毛蟲に変身して赤レンガに棲みたいと啼く

その毒気は人々を惑乱させる。今こそ、この化物の正体を……。

2 まして社会党の汚職三羽烏と謳われる五十嵐―吉村―山口に見られる黒い霧や、行政の私物化の噂さ

3 五十嵐―吉村―山口のようなゴキブリ共に神聖な赤レンガを占領されてたまるか。

4 五十嵐の政治資金は勿論自らも負担し、ゆ着している企業をオドしてでも資金造りをしなければならないが

5 己れの利益、己れの出世のためなら、手段を選ばないオポチュニストの五十嵐が、この協会派の影響をうけないわけはない。五十嵐の選挙戦術の主導権が協会派の中沢選対委員長に握られ、その公約や具体的な政策は、これまた協会派の山口哲夫道政調査会代表委員の手によつて練られ、その広報宣伝は、またまた協会派の菊地一夫の思いのままである。これで五十嵐が協会派のカイライにならなければ不思議である。

これはいくら荒法師の田村武がかばつても寝わざの名人吉村博がヤリ手婆のねちこさで工作して見ても、五十嵐が協会派に迎合し、その虜となり、やがて協会派の意のままにマルクス・レーニン主義の旗を振るのは、大地に金槌を打つより確かである。

北海道知事が新左翼爆発魔とおなじ協会に牛耳られたら、いつたいどういうことになるだろう。

第一に北方領土の返還を棚上げにして、北海道の非武装化を企図し、自衛隊の一斉退去を実現して、ソビエト軍の進駐を容易にさせるであろう。北ベトナム政府はソ連のカイライだが、まず彼等は南の食糧に眼をつけ、南ベトナム解放戦線の名目で、南ベトナムを占領し、次いでラオスを併合、更にカンボジア救国戦線の名分でカンボジアを侵略したのである。

五十嵐が知事になれば、新左翼が公言しているように、ソビエトと気脈を通じ、その援助によつて「アイヌ解放戦線」あるいは「北海道独立戦線」を組織し、道警が手に負えぬほどに主要都市の治安をカク乱させ、流通機構を破カイすることによつて経済活動を混乱に陥れ、解放戦線に北洋出漁許可権を与え、自治労を中心として、各市町村に革命委員会を設立、ついにはソビエト義勇軍を迎え入れて五十嵐知事自ら「北海道独立を宣言する」ことになる。

6 協会派と共産党の結託による「左翼北海道独立臨時政府」の樹立は、決して白昼夢ではなく、ソ連軍の北海道侵入もまぼろしではないのだ。五十嵐知事が実現したとき、急速に革命への気運が昂り、道政全般が鮮かに左旋回することは火を見るより明らかである。

五十嵐が繰返し強調している言葉の「中央権力依存の百年の呪縛(じゆばく)から北海道を解く」は何を意味しているか、彼は百年前箱館戦争で榎本武揚が宣言した如く、「北海道の独立」を企図し、初代国家主席のポストを狙つているのではないか、しかもソビエトの軍事力を借りて……。

これで協会派の思想、その恐ろしさが解つたろうと思うが、五十嵐は、いまや協会派と一体であり、そのカイライである。

7 革新汚職市長の三羽烏と謳われた五十嵐―吉村―山口は

8 それだから、今度の知事選挙が五十嵐や吉村のような政治ごろ、山口や佐野のような労働貴族、田村や斉藤、中沢のような組合ボスの利権運動、猟官運動と見られても止む得ないのではないか。

9 全道労協の顧問である五十嵐が協会派や共産党のカイライ知事となれば他の都府県と違つて北海道は、津軽海峡で本州と分断され、北東部はソ連と国境を接しているだけに、赤化の可能性は十分であり、ソビエト軍の侵入も容易となる。

10 五十嵐広三は単に“知事”という名の行政官をめざしているのではない。北海道の赤化を狙う革命集団のカイライとして祀りあげられ権力をほしいままにしたいのである。

11 ここで五十嵐を知事にでもしようものなら、これらの悪の組織はゴキブリぞろぞろで、再び活発な行動を開始するであろう。

12 私は「ヒットラー」を読んで、その境遇、性格が五十嵐広三に酷似しているのに驚いた。

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